まえPプロフィール
志-kokorozashiブログとは

志-kokorozashiブログは、まえPのパーソナル!?ワールド!?ブログです。
仕事や日常生活の出来事、子供達との情熱野球生活、小中学生の身体能力アップトレーニング、たまには・・・パパさんママさんとの野球談議、子供の将来の夢トーク(笑)を通じて
『 コレだ! 』
と分かったり気が付いたりした瞬間の感動や喜び、それによって得ることができた情報や知識を、自分の想いを添えて書き留めています。
まえPぃ~の使命

私の使命は「一体どんな練習をさせたら!?すれば!?といった・・不安や悩みを抱える素人パパさんたち、子供達の『 自分でもこんな練習したら上手くなるんだ!そんな喜び 』を応援する」デス。目に見える子供たちの成長や自分が進化していく姿を味わえたときの驚きや感動って、すごく幸せだと思うんです。子供たちがガッツポーズする姿、成長過程を通じての喜びを、ご覧いただく皆さんと共有していきたいです。
ブログの内容
現時点でのブログの内容は、今の所下記のとおりです。
・レタドールのあれこれ
・少年野球指導(まずは投手育成の練習について継続中・・)
・効果的に脂肪を燃焼させる様々なランニング方法(整理中)
・小中学生の身体能力を上げる体幹、身体能力アップトレーニング
・2012ホノルルマラソン日記(まだ未分類に埋もれてます(笑)
・毎年継続中の屋久島登山、ダイビング
・まだまだ追いついていない整理中のたくさんのつぶやき(笑)
まえPぃ~の指導に対する考え方
現在は、サラリーマンをやりながら・・・平日、週末、ボランティアで、少年野球、小中学生(現在は主にサッカー、バレー、陸上部に所属する子供達が参加しています)の身体能力アップのトレーニングを指導しています。少年野球の指導に24歳からコーチとして、翌年から監督として有浦少年野球で5年携わり、2010年はNTT杯佐賀県No.1を目標に優勝2回、26勝14敗、駅伝大会総合優勝、佐賀県No.1を目指した県大会では初戦で惜しくも1点差で破れました。その年の教え子に、はく離骨折者一名を出したことをキッカケに練習方法や先に繋がる体作りをベースに見直しを図り、今現在では、これまで様々なチームの監督様から学んだ練習方法、トレーナー目線での体作り、ダルビッシュ有選手みたいな長く成長し続ける、何より柔軟で力強い身体づくり、投球フォーム、身体の動きをテーマに、独自の目線でブログを通じて皆様のお役に立てる!子供たち野球の練習法や体作りのトレーニング情報をお伝えしています。
「全ては読者のために」をモットーに奮闘、研鑽中です<m(__)m> 読者の皆様とともに意見交換をしながら今後、益々成長できれば幸いでです。
まえPぃ~の経歴
<基本情報>
<詳細情報>
現在、独身(来年度、結婚に向けて準備中)
“失敗とは行動を起こさないこと”そんな自分らしさもすべての始まりはココからだった・・・

生まれも育ちも佐賀県。厳格な父と行動力抜群の母を持ち、家族、たくさんの親戚から愛され団地で幼少期を過ごす。幼少期は見栄晴と呼ばれていたそうで・・・笑 顔に似合わず、小さいときから負けず嫌いだったようです<m(__)m> 今では4人兄弟の長男であり、やはり性格は兄弟に似たり寄ったりするもんですね。

小学2年生のとき、小学校ちかくの新築へお引越し。
・小学校時代は、よくグランドでドッジボールや野球に浸しみ、母がママさんソフトをやっていて小さい時から母に連れられて、よく練習に行ってました。母は4番ショート、全国大会へ出場しました。このころから野球に携わる!?シナリオは整い始めていたようです。
2年生の頃に先輩の空手姿にあこがれ空手部に入部、が、先輩にいじられるのが嫌で、半年近くで・・早くもゆうれい部員。そんな私を見かねた母が最後は背中を押し、ケジメを取ることの大切さを教えてくれました。それから一年後、体育館の窓越しに空手の練習中に見ていた少年野球に入部。小さい時からのボール遊びがいい運びとなり無難にこなし、試合に出る機会をもらったものの、初めての試合に出るということの緊張、練習通りのプレイには程遠くエラーの連発、その結果、空手部同様にいじられるようになりました。でも、本当に野球が好きだったのかもしれません。辞めることなく、今の今まで野球に携われる自分がいる訳ですから。

中学校時代は、進学関係で好奇心旺盛の性格が現れ、地元の高校には目を向けず外ばかりに目を向け、野球をは続けるも憧れの親戚が箱根駅伝に走りテレビに出たことをキッカケに、足が遅いのに野球部と掛け持ちでランニングクラブに入部、高校では陸上をやろう!そう思った時期もありました。とにかく、ありとあらゆることに手を出し、中途半端なことを繰り返し先生からもよく怒られました<m(__)m>笑 そんな自分でも小学中学野球部のキャプテンや応援団長を任せてもらったり、仲間に恵まれ、支えられた時間となり、今になってたくさんの感謝をさせられる毎日です。
高校進学後、結局は野球部に入部し甲子園とは程遠い一年をなんとなく過ごしました。2年の時、顧問の先生が変わり甲子園に導いたことのある指導者に変わり、正直、忘れていた何か純粋な野球の気持ちを思い出し、ヨシ!!これで甲子園を目指せる!そう強く思ったっことを今でも覚えています。しかし、現実は甘くはありませんでした。再度頑張ろうと思った頃には、焦りと一緒に中学時に治っていたはく離骨折の痛みが再発し思うように投げれない、バッティングもできない日々、ついには腰痛まで。次第に精神面の弱さが現れ、気持ちも反れいろんな誘惑にも負け中途半端な夏を終えることになりました。終わったころに大学でやっていみないか?と声を掛けられたましたが、既に気持ちは離れていたようです。ただ、この頃に経験した指導方法や練習内容は後の少年野球の指導に大きな影響を与えることになったのも間違いのない事実。
<全国大会に出場に向けて!!>
就職のために自分で選んだ専門学校では、仲間との楽しさいっぱいでした。専門学校だけの野球大会があり先輩たちの力で、私自身初めての千葉ロッテスタジアムで開催される全国大会に出場!! チームはこれまで3大会連続出場!! 4度目を掛けて臨んだ最後の大会、同じ優勝候補に敗れ幕を閉じました。
正直大人になって困ったことがあります。高校受験、専門学校も、どちらも学校推薦を受け勉強に打ち込む、費やす苦労を知らないまま社会人となり、就職活動も周りが苦労している中、ラッキーなことに学校推薦を受け私よりも評価が高い真面目な友達を差し置いて、面接500人の中の一人になってしまい喜びは束の間、入社してからが苦労の連続でした<m(__)m> 資格について勉強しようと思っても、やり方やコツが分からない、すぐ飽きる(性格にも問題があるのかもしれませんね)といった状況で、ホント自分って駄目だな・・・弱いな・・・と感じることが多い20代前半を過ごしました。
名前 | Tetsuya Maeda |
ニックネーム | まえP |
生年月日 | 1982年2月23日 |
干支 | 戌年 |
星座 | うお座 |
血液型 | A型 |
出身地 | 佐賀県 |
居住地 | 佐賀県東松浦郡在住 |
年齢 | 31歳 |







指導者への歩み
25歳の時仕事を変えて地元企業へ再就職。その頃、弟が少年野球に携わっていました。たまたま小学校のグランドへランニングへいった所、少年野球の子供たちが練習をしていて、私の小学校時代の所属チームでもあります。私のイメージでは挨拶してくるものだとばかり思っていました。しかし誰一人として挨拶する様子はなく、指導者も不在が多い様子。その日に練習から帰った弟に挨拶の大切さを話したことを今でも覚えています。それからでしたね、グランンドに走りに行くたびにノックして下さいとか言われるようになり・・・気が付けばいつの間にかのめり込んでいる自分がいました(笑) このころからよく考えさせられます、本当に正しい指導とは!?子供たちのための指導とは!?少年野球の指導者とは!?いまだに答えは見つかってません。
<1年目の夏、初めて小さな地区大会で銀メダル>
・2006年の夏にコーチに就任し、2007年に有浦少年クラブ監督に就任。これまで一心不乱に情熱を注ぐことなんてなかった。なにかに取りつかれているんじゃないか?(笑)それぐらい少年野球に5年のめり込みました。ただ、最初の一年目はただ怒るだけ、持ち合わせている少ない経験値のみでの指導となり、精神論だけの不甲斐なさで子供たちに迷惑をかけるばかりでした<m(__)m> しかし、がむしゃらに本当に何もかも少年野球に、子供たちに、時間を情熱をとことん注いだ、注げたのは最初の一年目が一番でした。(※ もちろん、その年その年一生懸命でしたが、やはり要領や効率を覚えることによって時間の使い方が変わりました)
<冬場だけ強力頂いた駅伝大会、下半身強化の担当コーチです。お世話になったお礼を込めて毎年東西松浦駅伝大会には子供達と熱い走りを応援に行きました。おかげさまで5年連続駅伝大会3位以内(内訳:優勝1回、準優勝1回、3位3回)>
<いろんな想いを込めて作った団旗>
・2年目、1年目通算5勝75敗(練習試合含め)から14勝16敗(公式戦のみ)、チーム7年ぶりにベスト4にも入り優勝争いできるチームレベルとなりチーム全体の雰囲気が変わり始めた年でした。今だからこそ言える訳ですが、チームが子供たちが優勝できるレベルに達していても、状況に応じた的確な声掛けや采配が伴っていなかった分、レベルに応じた成果は出してあげることはできません。そんな中で1年目から2年目収穫は、やはり私自身が元々は子供たちの能力任せにしていたこと、それがチームが勝つも負けるも、良くなるもそうでないも指導者次第、監督次第ということに少しずつ気が付き始める出来事、出逢いがあり、考え方を大きく変える流れになったことでした。そして2008年、こんな自分でももっと先に繋がる野球を伝えられることってあるんじゃないか!?そんな想いで卒業生を軸に部活に通いながら軟式野球を指導する中学軟式野球クラブ レタドールを立ち上げました。
<"プレーは普段の心から"をモットに練習に打ち込む毎日>
<毎年子供達と一緒に参加したロードレース、現在も進行中>
3年目、(通算成績:16勝15敗、公式戦のみ)新しい愉快な仲間たちも増え、やっとの思いで繋がった決勝戦、結果は1-0で敗れはしたものの初めての場所に皆が満足でした。しかし、この時の左のエースは120キロ近く投げていてコントロールも抜群!それでも上へ行けなかった、行かせてあげることができなかった自分にはがゆさを覚え、また新たに強いと言われるチームの監督様に練習見学を申し出て、たくさんのことを学ばさせて頂きました。その節は本当にお世話になった監督の皆様に感謝するばかりです。4年目の優勝に繋がったのも監督の皆様が、苦労して長い年月を掛け培った知識という財産を惜しむことなく提供をして頂いたこと、そこに尽きます。ありがとうございました。

< 忘れてはいけない頼もしいサポーター達です >

<年を増すごとに成長を見せてくれた選手たち>
4年目、(通算成績:26勝14敗、公式戦のみ)ここまでいつも一緒に携わってくれたコーチが仕事の都合で転勤が決まり、最後の別れとなる7月の大会でした。実力以上の何かもあったのかもしれません。コーチの送別会兼優勝祝勝会となり子供たちの笑顔と共にたくさんの感謝の気持ちを込めて送り出すことができました。2010年チーム創部29年目初優勝、そして県大会もチームとして初出場を決めNTT杯佐賀県NO.1目標に更に勢いが着いた時期となりました。
<初優勝を決めたさよの湖杯>
迎えた県大会では8-7で初戦で敗れ、佐賀県No.1への道は閉ざされました。振り返って感じることはいつも同じです。” 勝ちに不思議あり、負けに不思議なし、勝ったことは選手のおかげであり負けたことは監督の責任 ” 監督として、そうなっていくような流れを作る献身的な努力や準備が足りなかった。
それから2度目の優勝までは、その年全国大会行の切符を手にしたチームが常に立ちはだかり結果はいつも延長特別ルールでの負けでした。それでも子供たちは辛抱強くよく戦ってくれたと思います。そして今でも覚えています、2010年10月30日 (土)ちょうどこの日は出張の予定でした。しかし行き先の台風の影響で飛行機が飛ばず延期、この時から優勝の流れが決まっていたのかもしれません。もちろん子供達と保護者さんには当日の試合開始まで内緒(笑)私の顔を見た時には・・・やっぱり来たんだ!え?なんでいるの?そんな2つの表情で困惑気味でした(笑)ちゃっかり会場へ行く前は120円のお賽銭を手に神社でお参りまで。(※チーム、子供達120%の力が発揮できますように・・・と意味を込めた120円)
<第7回佐賀新聞社旗争戦少年軟式野球大会 優勝>
そして、私の中での指導に対しての考えが変わり始めたのも、ちょうどこの日からでした。決勝前にキャプテンでエースの子が肘の違和感を訴え次の週には病院へ。診断結果は、はく離骨折でした(=野球肘)。優勝はしたものの強くはなったものの待っていたのは怪我でした。ストレッチや鉄棒を使ったケア、アイシング、考慮はしていたもののやはり私の勉強不足でした。
そういう経験、体験があった4年目から5年目への指導が始まり、自分の中で指導の在り方についてもいろんな迷いがありました。そして2008年に発足した中学軟式野球クラブ レタドールも当初部員3名でスタートしてからようやく9名となり、同時に2チームの監督兼務での小中共に新たにスタートする年でした。しかし明らかな私の采配、段取りの悪さ、特に佐賀ではクラブチームは県内の大会には出れない、怪我やいろんなことが続き練習試合も上手く組んであげることができませんした。とにかくいろんなことが一人空回りな状況ばかりでした。それでも、おかげさまでいろんな縁が繋がり福岡で開催されるドカベン杯や近畿大杯に参加させて頂いたり、知人の縁から繋がった全国的にも有名な滋賀県の中学軟式クラブチーム彦根J Boy’s様と交流させて頂いたり、こちらも全国的に知られる指導者様がいらっしゃる兵庫県で有名な北神戸中学様、松陽中学様と交流をさせて頂いたりと、人との繋がりの大切さを改めて学ばせて頂きました。それでも、やはり流れは変わらずこの年限りで中学軟式野球クラブ レタドールのメンバーは居なくなりました。

<再会する日を楽しみに今後も励みます>
<兵庫県、滋賀県遠征にて共に戦った仲間たち>
5年目(通算成績:12勝13敗、公式戦のみ)の少年野球でも、自分が悩んだ時期や迷いが多かった分、優勝に導くことはできなかったものの、大きな怪我もなく子供たちの頑張りで優勝争いできるレベルまでのチーム力になったことが何よりでした。鹿児島県遠征で全国大会常連チームの川内サンダース様と交流させて頂いたり、部員2名が佐賀地区選抜のセレクションに合格し、ソフトバンクJrと対戦させて頂いたり、たくさんの方々の繋がりからたくさんのご縁を頂きました。心より感謝申し上げます。
<川内サンダース様との交流戦>
<チームカラーが詰まった一枚のタオル>
<対ソフトバンクJr 戦 キャッチャーアキラ>
<対ソフトバンクJr 戦 先発するレイジ>
不甲斐ない5年目の私の采配が原因で2012年2月を持って5年間の有浦少年野球クラブの監督生活にピリオドを打ちました。とにかく濃い時間でした。わが子もいない少年野球だった訳ですが、関わるすべての人たちと一丸になり子供たちのために尽くせた時間でした。そして最高のサポートを存分に頂けた熱いチームでした!!
<怪我をしにくい体作り、夏にめいっぱいグランドを駆け回るため強靭な体力を手に入れるため皆で工夫して取り組んだ冬練>
<安定したフォーム作りと球速アップのために>
<常に一人一人が全力で>
<佐賀新聞社杯2連覇を掛けて皆で行った勝利祈願の芝刈り!?>






























- 少年、中学野球の指導における知識、経験、体験、練習方法の情報提供
- 小学、中学生の身体能力アップの指導における知識、経験、体験、練習方法の情報提供、その他体のケアについて
- 普段は発電所勤務の専門職
- 夢について語り行動すること
- スポーツ、レジャー系(毎朝のランニング、温泉・サウナ、屋久島登山、屋久島ダイビング、パワースポットめぐり)
- 読書
- フルマラソン:3’32”13(ホノルルマラソン2012.12)
- ハーフ:1’29”32(桜マラソン2012.4)
- 10km:40”44(玄海ロードレース2008.11 記録上の自己ベスト)過去6回参加
- 3.1km:11”44(鹿島クロスカントリ-駅伝2013.1)
- 第2種放射線取扱主任者
- 酸素欠乏危険作業主任者
- 普通自動2輪(乗車実績:SF400、スティード、TW200)
- 屋久島登山3回(2013年4度目調整中)
- 2012.5 熊本3333段 日本一長い階段制覇


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